山本佳枝がベースに加入し、森田茂がドラム。そして瀧井。
それまでの学生ノリから派生したジャカランタンはここから一転、ロックの深みに足を踏み入れた。
ルックスは正直、佐藤・宝田の第1期の方が良かったかも知れない。第2期はその点本当にデコボコであった。 しかしそれを補って余りある程、山本・森田のリズム隊は強力であり、森田のアンダーグラウンド志向は活動スタンスに筋金を入れていった。
’96年の大きな節目は夏に出演した拾得と、それを擁する街、京都への認識である。
瀧井・山本は大阪生まれの大阪育ちであり、森田は和歌山出身だった。
平たく言えば、それ程文化都市としての京都を認識していなかったのである。
それがぶっ飛んだのは拾得であった。
住宅地の真ん中にあるライブハウス、元酒蔵、壁の怪しげな絵。 そして長い営業の歴史を支えてきた京都の人々のサブカルチャーへの理解度とでも言おうか、3人には衝撃であった。
3人はいっぺんに京都が大好きになってしまった。 丁度この頃、京都で一つの動きが胎動しつつあった。
この時期、ジャカランタンがリハーサルをしていた場所が天王寺にあるミドルグラウンドというスタジオで、そこは南大阪のアンダーグラウンドな人々一種吹き溜まりみたいなスタジオだった(現存)。
そこでそれ程頻繁でもないがジャカランタンは練習を行った。有りそうだけど、ちょっと無い感じ。
メロディーは解り易く、響き易いけど突き刺さる様な激しいやつ。
瀧井の楽曲制作に幅を持たせたのは、彼がこの時期ハマッていたピクシーズだった。
ちなみにミドルグラウンドに練習に来るバンドにシニカルクランプというバンドがいた。瀧井は以前からこのバンドのサウンドと佇まいが大好きだったが、スタジオで顔を合わせても声を掛けられないでいた。
何故かと言うと、このバンドに新しく入ったギタリストの風貌がイカツかったからである。
その男の名は、安井淳。
そしてこの年の秋、ロケッツでのブッキングライブでの事であった。
リハーサルの後、対バンの内の一つのバンドが声を掛けて来てくれた。
そのバンドのライブを観ると、アメリカンロックの様に抜けた感じと、音楽と風貌の爽やかさが印象に残った。
ライブ後、ロケッツ近くの白木屋での打ち上げで意気投合した、、、、、、、、、、、、、、
HAPPY UNDER RIVERである。